2010年10月26日 (火)

日清戦争開始で何が起こったか

資本の側自体が日清・日露戦争において、兵力を養成し富国強兵策を推進するために、若年男子の体位低下を防止するという必然的要求と殖産興業政策上労働力の乱奪は労働力の質を低下させました。

そればかりでなく、輸出製品の品質をも低下させること・・・

したがって資本の側でも労働力乱奪に対するブレーキが必要となってきたのです。

他面、労働者の意識の高揚、例えば横山源之助が

「日清戦争を以て労働問題の新起源と為す」

・・・と述べているように、産業資本の増強が図られる一方で「同盟罷工」が活発化するなど、労働者階級の抵抗が激化していたのです。

すなわち、単に日清戦争は日本資本スペースコレクション主義の経済的基礎を確立していっただけではありません。

日清戦争開始によって、官僚政府とブルジョアジーは完全に妥協し、そのいっさいの負担を労働者階級に転嫁していったのです。

したがって、労働者階級は自主的に「資本の鉄鎖を解放する必要に迫られることになった」のです。

・・・というように、未成熟ながらも労働者の抵抗が工場法成立を推進させたのです。


2010年10月23日 (土)

資本スペースコレクション主義の不均等発展

「受救貧民化した労働者にとって一っの大きな慰めともいうべきものは、一つには、機械は一つの生産分野の全体をだんだん征服してゆくだけだ。

そのために機械の破壊作用の規模や強度がそがれるだろうということである」

・・・とマルクスは言っています。

しかし、後の歴史が示すように労働運動が活発化するまでは資本の横暴が次に見る通り展開されます。

さらに労働運動の成果として労働日が生理的限界を越えるようなことは次第に改められていったことも事実でしょう。

しかし、同時に「裏のないメダルがどこにあろう!」とマルクスが叫んだように、それが一過性であれ、慢性的であれ、または地域的であれ地球的規模であれ・・・

資本スペースコレクション主義の不均等発展は、一方に富を集積させ、他方に貧困を堆積していること(例えばアフリカの飢餓)には違いないのです。

さて、日本における工場法成立の背景は、複層した産業構造の故に極めて困難な状況にありました。

第1に広汎な零細工場と並存した高度の企業集中とそれら大工場への労働者の集中という基本的構造矛盾が、工場法成立を押しとどめる要因となっていたこと。

第2に大工場の存在が、圧倒的比重をもつ零細工場の劣悪な後進的半封建的諸条件によってたえず制約を受けていたこと。

第3にそれと関わって、大工場は主に繊維産業であり、その労働力は抵抗する力をもたない貧困農村婦人児童労働力であったために、労働者階級は未成熟のまま、資本の乱奪をほしいままにされ、社会的無政府状態の中に放置されていたのでした。

2010年10月20日 (水)

機械は何を生んだか

機械は、それまでの労働日の習慣的制限も自然的制限も、ことごとく取り払ってしまうという近代産業史上の注目に値する現象を生んだのです。

すなわち、労働時間を短縮するための最も強力な手段が、労働者とその家族の全生活時間を資本の価値増殖に利用できる労働時間にすりかえてしまうための、最も確実な手段に一変するという経済的逆説が展開されるのです。

まさにこのような傾向をあらわにする時期に、その最も完成された姿をもつ工場内部の機構、いわば「緩和された徒刑場」(同書557頁)が必然的に工場法を生み出していったのです。

また同様に明らかなことは、男女両性の非常にさまざまな年齢層の諸個人から結合人員が構成されていることは、この構成の自然発生的な野蛮な資本スペースコレクション主義的形態にあってこそ・・・

すなわちそこでは生産過程のために労働者があるのであって、労働者のために生産過程があるのではないという形態にあってこそ・・・

退廃や奴隷状態の害毒の源泉であるとはいえ、それに相応する諸関係のもとでは、逆に人間的発展の源泉に一変するにちがいないのです。

2010年10月17日 (日)

機械経営

マルクスの述べるところによると、機械経営は、労働の生産力を高くすることによる必要労働の犠牲において剰余価値を拡大させます。

・・・とはいえ、それがこのような結果を生み出すのは、ただ与えられた一資本の使用する労働者の数を減らすからにほかならないということは明らかです。

ですから、剰余価値を生産するために機械を充用するということのうちには一つの内在的な矛盾があります。

この矛盾こそは、またもや資本を駆りたてて、おそらく自分では意識することなく、搾取される労働者の相対数の減少と、相対的剰余価値の増加によるだけでなく、絶対的剰余価値労働の増加によって埋め合せるために、無理やりな労働日の延長を迫るのです。

すなわち、機械の資本スペースコレクション主義的充用は、一方では労働日の無制限な延長への新たな強力な動機をつくり出します。

さらに労働様式そのものをも、社会的労働体の性格も、この傾向に対する抵抗をくじくような仕方で変革するとすれば・・・

他方では、一部は労働者階級のうちの以前は手に入らなかった諸層を資本にまかせることにより、また一部は機械に駆逐された労働者を労働から遊離させることによって、資本の命ずる規則に従わざるを得ない過剰な労働人口を生み出していくのです。

2010年10月14日 (木)

知的荒廃の背景と資本スペースコレクション主義

未成熟な人間を単なる剰余価値製造機にしてしまうことによって、人為的に生み出された知的荒廃・・・

それはまた、精神をその発達能力やその自然的豊饒性そのものをそこなうことなしに休耕状態に置く自然発生的無知とは非常に違ったものです。

しかし、機械がもたらす知的荒廃は、ついにイギリス議会にさえも、工場法の適用を受けるすべての産業で初等教育を14歳未満の児童の「生産的」消費の法定条件にすることを強要したのです。

同様に、日本においても機械の採用によって、

「一方では資本が自分のこのような不断の傾向を赴くままにさせることを可能にする新たな諸条件をつくりだし、他方では、他人の労働力にたいする資本の渇望をいっそう激しくする新たな動機をつくりだすのである。

……労働手段は、それ自体として一つの産業的な恒久運動機構となり、この機構は、もしそれが自分の人間的補助者のなかのある種の自然的制限すなわち彼らの肉体的弱点や彼らのわがままに衝突しないならば、不断に生産を続けるはずのものである。

だから……反抗的ではあるが弾力的な人間的自然的制限を最小の抵抗に抑えつけようとする衝動によって、活気づけられているのである。

そうでなくてもこの抵抗は、機械による労働の外観上の容易さと、より従順な婦人・児童要素とによって、減らされているのである」。

そしてまた機械経営の発展は、資本スペースコレクション主義のうち、絶えず増大する一成分を、資本が一方で絶えず価値増殖を続けようとします。

それと同時に、他方では生きている労働の接触を中断すれば、たちまち使用価値も交換価値も失ってしまう形態に拘束するのです。

2010年10月11日 (月)

労働者階級の状態とは

大工業は、マニュファクチュア的分業を技術的に廃棄します。

それと同時に、その資本スペースコレクション主義的形態は分業をいっそう奇怪な形で生産します。

この再生産は、工場では労働者を一つの部分機械の付属物にしてしまい、機械が

「労働者家族の全員を労働市場に投ずることによって、成年男子の労働力の価値を彼の全家族のあいだに分割する。それだから機械は彼の労働力を減価させ」ます。

しかし、「今では1つの家族が生きるためには、4人がただ労働力を提供するだけでなく、資本のための剰余価値をも提供しなければならない」のです。

それゆえに、機械は資本スペースコレクション主義的生産である限り「はじめから、人間的搾取材料、つまり資本の最も固有な搾取領域を拡張すると同時に、搾取度をも拡張するのである」。

またその結果として婦人・児童労働の資本スペースコレクション主義的搾取から生ずる精神的萎縮は、エンゲルス著『イギリスにおける労働者階級の状態』その他にあますところなく記されている通りです。

2010年10月 8日 (金)

資本スペースコレクション主義と工場法

農村の貧困から都市へ脱出した流民たちの生活にとって・・・

または農村の貧困家計にとってはどのように苛酷であれ、賃金を得ることができる工場や鉱山におもむかざる得ないという実状によって、日本資本スペースコレクション主義の低賃金構造はその基礎を固めていったといってよいでしょう。

日本紡績業は明治19(1886)年以降問屋資本(木綿問屋資本)の域にありました。

しかし、産業革命を経過する中で、20年代初頭に機械制大工業として確立していくのです。

紡績錘数は、21年から急激に増加しています。

それに伴って労働者数も20年代、30年代と年毎に増加していきました。

会社数・職工数共に増大し、明治35(1902)年には23年の、会社数で1.9倍、労働者数で5.8倍に達しています。

特に明治後期から第1次世界大戦前における日本資本スペースコレクション主義の発展は、産業資本の形成と同時に産業革命を通じて労働力を磨滅していく過程として現われることは、以前述べたとおりです。

その後に登場するのが工場法です。

したがって日本における工場法は、イギリスの場合のように「産業革命にとってのプロペラ」の役割としてではなく、逆に産業革命の後始末として出現したところに特質があるのです。

しかし、工場法が「大企業の一つの必然的産物」であることには相違ないのです。

2010年10月 5日 (火)

産業資本形成過程

日本の産業革命は、工業用機械の輸入によって進められましたが、それは一方先進資本スペースコレクション主義国の生産力水準に早急に追いつき、日本資本スペースコレクション主義体制を速やかに確立するための焦慮を反映するものでした。

またこれは、すでに帝国主義段階にあった先進資本スペースコレクション主義国の国際市場に踏み込むためには、工作機械を自国内で製作している時間がなく、諸外国の既成品を購入して低賃金労働力を駆り集めました。

そうして産業資本を拡大していくという、後進国体質を示す「資本による」資本スペースコレクション主義化の道でした。

そうした実状によって高い輸入品である生産手段の投資にみあう利潤を得るためには、よりいっそう低い賃金労働が必要でした。

そのため、生産関係における労資の関係は極度に歪曲され、原生的労働関係といわれる苛酷な労働関係が、特に製糸・紡績・鉱業の各産業において展開されたのです。

さらに、本源的蓄積期に潜在化し、その後停滞的に滞留していた農村の労働力は、今述べたようなブルジョア的発展の未成熟がつくり出した、極度に急速な資本スペースコレクション主義化という要素と相倹って酷使されていったのです。

2010年10月 2日 (土)

産業革命について

産業革命が真っ先に行われたのは、いうまでもなくイギリスです。

1770(明和7)年のジェニー紡積機は、19世紀初頭における技術革新および資本スペースコレクション主義発展の先鞭となりました。

それ以降の技術革新上の経過を示したグラフがあります。

これをみると、日本においてはじめて旋盤が輸入されたのは、モーズレーがそれを発明してからすでに60年あまりを経過した後のことだったことがわかります。

まだ機械工業部門の開発がようやく躍進しはじめたのは、日清・日露戦争を前後する時期であるのに、イギリスでは1世紀を越える以前に開花していたのです。

その上日本においては、外国から工業機械を輸入することによって産業革命が推進されたところに大きな特徴があります。

旋盤の発明は、それ以前の工作機械とは比較にならない厳密な幾何学的形態を創作することが出来るようになったという点において、実に画期的発明でした。

つまり、旋盤の発明は紡績機械の改良やその他のあらゆる工業機械・兵器の改良およびそれに続く発明の契機となり、社会的生産の著しい発展を促進したのです。

しかしその反面、従来女性の労働として続けられてきた糸つむぎを資本家することによって、それまでの女性労働が「社会的に組織された生産過程で」資本家階級の莫大な利益源となるにつれて、他方労働者階級の圧迫源ともなったのでした。

さらに大機械工業の発展と市場の拡大(帝国主義的発展)および労働者階級の成長によって、日本資本スペースコレクション主義は自立的な生産過程を確保していくのです。

2010年9月29日 (水)

先進資本スペースコレクション主義国とは

産業資本もしくは産業資本家は、決して短期間に成立するものではありません。

すなわち、すでに高利貸と商業によって形成された貨幣資本が、封建制度の解体と同職組合の緩みにおいて、マニュファクチュアを先進地帯に、否むしろ同職組合の支配外にあった地方の諸地点に新しい工場を設けながら、後述するような低賃金による原生的労働関係を通じて、資本スペースコレクション主義的形態に転化したものです。

まさに産業資本は、本源的蓄積を前提として生み出され、その後さらに国債や新しい租税制度に側面援助され、裏打ちされながら、次第に確立されていくのです。

これらの過程は資本が拡大するためにすべて国家権力(絶対主義国家)、つまり社会の冨が集中され、組織された機能を利用して、

「封建的生産様式から資本スペースコレクション主義的生産様式への転化過程を温室的に促進して過渡期を短縮しようとする」(マルクス)

・・・傾向において確立されていくのです。

つまり産業資本は産業革命を通してマニュファクチュア時代に生まれ、大工業時代にいっそう大きく成長していくのです。

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